2008年06月14日 (土) | 編集 |

フェイバリット
城井由真、二十九歳。この年齢は正直重い。土壇場のように思えてならないのだ。別に何かが変わるわけではないのだが、三十という年齢に手の届く場所に自分がいるということが、つまり土壇場なわけだ。由真は仕事をやめて二ヶ月になる。資格を取るのに二年を費やし、就職先がなくて一年を棒に振り、ようやく見つけた働き口でプロの保育士としてデビューした。それから七年。一生懸命が報われない職場だとも気づかず、無理をしてしまった。胃潰瘍も円形脱毛症も一度ならず経験し、じんま疹に悩まされるに至って早めに対処しておけばよかった。職場に近づいただけで激しい嘔吐感に襲われ、三半規管が悲鳴を上げはじめたところで退職を決めた。
ハツモは渾名で初茂一幸というのが彼の名前で、その珍しい名字のためにハツモがそのまま愛称になった。小学校からの幼なじみで、どういうわけか高校も同じだった。男として意識したことはないが、年に二度くらいの頻度で遊びにでかけている。小太りだし、三十前だというのに髪も少しうすくなってきている。はっきり言ってしまえば「いけてない」ハツモと会おうと思うのには、ちゃんと理由がある。ハツモと出かけると、思いがけないことが待っているからだ。行き先は毎回違って、ハツモにおまかせすることにしている。
牛が好きなんだといわれて牛舎へ連れて行かれ、芝生の丘ででんぐり返り、河川敷で凧揚げし、大声コンテストで叫び、池でザリガニ釣り、杉林でカンツォーネを熱唱する男に会い、一面の緑がはえる芝畑でのんびりする。ハツモは誰かを喜ばせるためじゃなく、自分の好きなこと、お気に入りの場所に連れて行く。ハツモの流儀は単純明快。自分の受けた感動を、衝撃を、別の誰かに味わわせたい。誰もが喜ぶわけではないが、由真の心は騒ぐ。どきどきする。すげえ!と叫ばずにいられない。
読み始めは、文章が下手っぽい、野暮っぽいと思ったけれど、慣れてくるとそんなに気にならないようになっていた。とにかく、いけてないハツモに魅力があって、読み手はぐいぐい読まされる。ハツモは相手の気持ちをつかもうなんて、これっぽっちも考えないまま、相手の懐にスッと自然に入る。なにより自身が楽しんでいるから、気がつけば壁を作らずに仲間を作っている。
これは由真とハツモの物語であり、ハツモと過ごす中で、由真が見失っていた自分の何かを見つけ出す物語でもあり、由真の家族の物語でもある。これが詰め込みすぎの窮屈ではまったくなくて、自然と心が温まる物語になっている。ただ、帯に「笑いのジャブ」と書いてあるが、微笑ましくはあっても笑いはなかった。そこは作家ではなく、出版社のミスかもしれない。だけど、笑いがあると思って読む読者は、あれ?と首を捻ってしまう。そこが少し引っかかってしまったが、それを差し引いてもいい気分になれた。これは面白かったです。
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