2008年07月23日 (水) | 編集 |
![]() | グ、ア、ム (2008/06) 本谷 有希子 商品詳細を見る |
長女はなんの目的もなく田舎を飛び出し、東京の大学に通った。何の職業が自分に向いているのかわからない。だが、漠然とクリエイターかマスコミ関係に興味があった。ミーハー心、まる出しで。だからあらゆる入社試験に落ち、このままでは本当に路頭に迷うかもしれないと危機感を覚え出していた大学四年のある日。なんとなくアナウンサースクールに通うことにした。そして、二十五歳の現在は、スパで垢擦りマッサージのアルバイトをしている。
四歳年下の次女は堅実と言われた。次女は本当はそれほど堅実ではなかったのに、姉がふらふらしているぶん、親の経済力と、日本の未来に不安を感じ、高卒で大阪の信用金庫に就職した。いつか絶対に働かなければいけないのになぜわざわざ…ともったいがる長女を尻目に、いつかどうせ働くのだから今働いても同じこと、と次女は割り切っていた。長女の無計画性に腹立たしさを覚えた次女は、徹底的に長女とは違う人生を歩もうと決めていた。
女三人旅プランを父が薦めたことで、今は別々に暮らす成人した姉妹と母親は二泊三日のグアム旅行に行くことになった。無防備の人である長女と現実主義の人である次女は、性格も違えば仕事面でも格差がある。子供の頃からケンカはよくしたが、最近はいよいよソリが合わない。そんな姉妹の間で折衷主義の人である母親は右往左往。一触触発の地雷を抱えたまま、女三人とも初めての海外旅行。しかし、次女は抜いた親知らずのあとが痛くて、母は生理で下腹部に鈍痛を抱え、しかも、グアムの天気は台風接近によって生憎の雨模様だった。
本作はこれまでの作品と比べて少し大人しいような気がした。人物紹介を重点にした前半部分と、グアムで過ごす後半部分に別れている。この作品で変わっているのは、いっさい人物名が出てこないところだ。長女はおねえ、お姉ちゃんと呼ばれ、次女はあんた、チビ助と呼ばれ、母親はおかん、父親がおとん、おっさんと呼ばれている。とにかく、みんな口が悪い。その彼女たちは方言を話していて、なおかつ北陸出身とあった。たぶん本谷有希子の出身地である石川県をイメージすると間違いないだろう。
本谷作品といえば、登場人物の身勝手なエゴやわがままを連想するが、本書の場合は長女がその役割を果たしている。この長女が自己正当化の塊で、めちゃくちゃ痛い女である。生まれた時代や、不景気や、就職難や、なんやかやと、上手くいかないのはすべて何かのセイであって、自分は悪くない。いや、むしろ被害者だと思っている。こういうおバカなキャラは大好きだ。突き抜けているからこそ、気持ちがいいのである。
その長女と対極の位置にいるのは、堅実で無口な妹ではなく、間に挟まれておろおろする母親でもなく、日本に留まっている父親にあるのが面白い。電話でしか登場しない父親だが、ひょうきんで、愛嬌があって、とにかく軽くて、憎めないおっさんである。金食い虫の長女を我が家のワーキングプアの愛称で呼び、女たちの旅行代金を出したことで、ケツの毛まで毟り取られたと自虐する。ファンキーでかわいいオヤジである。こういうポジションにちょっと憧れたりするのである。
今や姉妹たちは別々のところに住んでいるが、家族の立ち位置は、一緒に住んでいた頃とまったく変わっていない。といういか、姉妹たちは独立しているが、子供のまんまのようなポジションにいる。長女は言うまでもないが、次女も隠してはいるが本質はしかりである。物語の終盤に家族というものに不器用な姉妹が、おかんのために、仲のよい家族を演じることにする。その子供顔が出る場面がおかしくておかしくて涙がでそうになった。おかん目線が、くすくす笑いの連続を誘うのだ。そして、家で飼っているおもちという名のうさぎのこと。上手いな〜。このうさぎのことはあえて語らず。読めばわかります。そしてそして、やはり本谷有希子が好きだ!
2008年07月23日 (水) | 編集 |
![]() | 体育座りで、空を見上げて (2008/05) 椰月 美智子 商品詳細を見る |
「大人の階段を昇るのって、すごくしんどい。」五分だって同じ気持ちでいられなかった、あの頃。中学生時代の出来事を通して読者を瞬時に思春期へと引き戻す、おかしくも美しい感動作!《出版社より》
東京ディズニーランドがオープンしたその春、小学校を卒業したばかりのわっここと和光妙子は、中学生になった。その彼女の中学生活三年間が淡々と綴られている作品だ。不安いっぱいの中学一年生では、六年で同じクラスだった米村さんとなんとなくつるむようになり、テニス部に入部するつもりが、なし崩し的に姉のいる卓球部に入ってしまう。クラスのかわいい女の子に憧れ、初めて男子を異性だと感じ、ブラジャー熱が一気に上がり、小学校では親友だった子がヤンキーに変わりつつある。
そんな彼女も、新たなレッテルを貼られることになる。小学校時代は、絵に描いたように明るく元気よく、正義感が強く、勉強も運動もわりかしできて、活発な女の子だった。それが中学生に入ったとたん、気持ちは外へではなく、内に向かうようになって、明るいお調子者の女の子ではなくなった。気がつくと、ものしずかで、どこかつかみどころのない女の子、というレッテルを貼られていた。本当の自分がどういう人間なのか、わからなくなってしまうのだ。
一年生時代はかわいいなぁと読めていたが、二年生の頃から、お母さんに強く当たるようになる。言葉遣いが悪くなって、なんでもないことに怒りをぶつけまくって、暴力的になる。これって反抗期だと思うのだけど、女の子って、こんなに凶暴になるものなんだろうか。自分は男なので比較にはならないが、うちの妹は母と仲良しのままだった。だから、この得たいのしれない怒りはよく理解できなかったし、それが作品の最後まで続いていたのは不思議な感じだった。
そのイライラと共にわからなかったのが、国語教師の山田太郎だった。こんなヘンタイ教師がいてもいいのだろうか。PTAから文句がでないのだろうか。こんなヤツが目の前にいたら、学生時代ならぶん殴っていただろう。とにかく、キモチわるい。
自分が学生のときにも、可愛い子や勉強ができる生徒だけを贔屓する教師は確かにいた。だけど、そういう教師は、車が傷つけられるとか、卒業式のあとのお礼まいりだとか、なんらかの天罰が降っていた。こんなことを言っちゃっていいのか。汗、汗。でも時効だし、まあいいか、って誰が犯人かバレるよね。くれぐれもこんなバカな真似はしないように!
少女の普通の中学時代でしかないが、これはいい作品だと思った。第二ボタンまで外して下敷きで扇いだり、女子ならスカートを持ち上げてバッサバッサと中に風を送ったり、そういうオコチャマな描写に、あったあったと手を叩きたくなってしまう。日常の何気ない仕草がすごく懐かしく、キューンとなったのだ。そんななかで、強者はスカートを持ち上げて下敷きで扇いでいた。これだけは頼むからやめてくれ!
主人公が女子なので、すべてが理解できたわけではない。共感にしてもそうだ。だけど、微妙に変化する男女の距離感や、口うるさく言われることへの嫌悪感や、勉強への倦怠感、必死になることがなかったのに緊張だけはする高校の合格発表。これらはすごくわかる。いや、わかりすぎて、もう一度やり直したくなった。今更だけど、自己嫌悪に陥ってしまった。面白かったのに、何故、ヘコまなければならないのだろう。
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