--

--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ポチッとお願いします。その一つが励みになります。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

スポンサー広告
トラックバック(-)  コメント(-) 

    2009

08.16

「図書館ねこデューイ」ヴィッキー・マイロン

図書館ねこ デューイ  ―町を幸せにしたトラねこの物語図書館ねこ デューイ ―町を幸せにしたトラねこの物語
(2008/10/10)
ヴィッキー・マイロン

商品詳細を見る

1988年、アメリカの小さな町の、こごえるような冬の朝。出勤してきた図書館長のヴィッキーは、本の返却ボックスのなかでうずくまる子ねこをみつける。その赤茶色の子ねこは、救いだされると健気にしもやけの足で立ちあがり、ヴィッキーの手に頭をすりつけて挨拶をした。信頼しきった大きな目と、人なつこい表情――。この子は図書館に必要な存在だ、とヴィッキーは直観する。こうして、2人の物語は始まったのだ。

来訪者を出迎え、ひざの上で眠る「図書館ねこデューイ」に、子どもたちは笑顔になり、大人は心をいやされた。やがて人びとはデューイに会おうと図書館に集い、語らうようになる。そしてデューイとヴィッキーは小さな図書館にいながら、町の人を勇気づけ、アメリカじゅう、さらに海外へとあたたかい物語を伝えていくこととなった。自身の病気や子育てに苦労しながらも、デューイの世話をし、ともに図書館をもりたててきた図書館長が、町の人びとに、そして世界じゅうに愛された1ぴきのねこの一生を愛情をこめてつづる。《出版社より》

図書館で猫を飼うことになった館長によるノンフィクション風のエッセイでしょうか。それともただの日記とでもいうのでしょうか。図書館と猫。このキーワードに惹かれ、手に取ることにした。なんか、違う。求めていたのとは違いすぎる。ぜんぜん、面白くない。びっくりするぐらいに。ふだんなら、こういう本を読んだという記憶自体を消去してしまう。もちろん、ここには書かない。しかし、某ネット書店で高評価が並んでいるのを見て、おや?と思った。だから、自分の嫌いな批判的な意見になるとわかった上で、あえて書くことにした。

まずおかしいと思ったのは、著者自身の不幸話を突然持ち出してくること。これには読者は困惑するしかない。でも次の瞬間には、自分の優秀さを臆面もなくアピールしている。なんか、感じ悪い。鼻持ちならない人だ。それと、自身の住んでいるスペンサーという町を執拗なほど描写するのは勘弁して欲しい。町の歴史とか経済状況とか、興味ないって。そしてこの小さな町の図書館に住む猫は、ただの猫ではないと。これが一番おかしなことだと思った。

デューイという猫は特別な猫だと何度も強調している。猫にしては人当たりのよい気性のおだやかな猫だけれど、いたってどこにでもいる猫だ。猫に癒されることはある。それは、人が、であって、猫が癒すのではない。うちにも猫さん二人いるが、彼らは自由だ。「なでて」ところんと寝転がる行動、喉をごろごろ、肉球をにぎにぎ、絶対の甘えに、自分が親?という錯覚をし、自称親は「はいはい」と手玉に転がされる。猫の癒しマジックは理解できる。

しかし、ふつうの猫を特別な猫と連呼しているのは腑に落ちない。結果的にマスコミに取り上げられ、全米で話題になり、日本のテレビにまで登場したとしてもだ。私はデューイを知っている。私たちのデューイは国際的なスターだと。自画自賛の自惚れにカチンとくること甚だしい。デューイが悪いのではないない。この図書館館長の浮かれぶりが気に入らない。焦点がふらふらとぼやけ、そもそもいったい何が書きたかったのかも不明だった。手厳しいでしょうか。

反論は一切受け付けません。そこはあしからず。

ポチッとお願いします。その一つが励みになります。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

その他の作家
トラックバック(0)  コメント(0) 

Next |  Back

comments

コメントの投稿











 管理者にだけ表示を許可
trackback
この記事のトラックバックURL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。