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    2009

12.22

「海峡の南」伊藤たかみ

海峡の南海峡の南
(2009/09/15)
伊藤 たかみ

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僕と歩美は、倒れた祖父を見舞うため北海道にやって来た。彼女とは共に関西育ちだ。はとこ同士になるが、幼馴染であり、身体を重ねる仲だ。高校生の頃から、互いに恋人がいないときに限りよく一緒に寝た。親も含めた親類には内緒にしていた。それは罪悪感からではなく、親類だの血縁だのという面倒くささかららくるものだった。金にも飯にもならない血縁のしがらみが鬱陶しかったのだ。離婚した彼女と再び始まった関係を隠しているのも、同じ理由だった。

若き日に関西に出奔した父は、金儲けを企てては失敗し、母にも愛想を尽かされ、十年も前にチェンマイに行くと最後の手紙が来て以来、音信不通のままだ。僕は彼を捜そうともしなかったし、一家離散している現状で今さら捜す気にもなれずに放ったらかしにしてある。祖父の相続のこともあり、智弘伯父に促され僕は父の居場所を捜すことになった。父の記憶が少しずつ甦っていく。父はナイチに来る前の話はほとんどしなかった。写真も持っていなかった。僕の頭の中にいる彼は、北海道とナイチで違う男なのだった。

内職の斡旋をしていた父。金魚を輸出する投資話に乗っかっていた父。女との逢い引きのためだしに使われたことも、ちゃらんぽらんな父に安心して、なぜか僕は言いなりになったのだ。父はどうして家を捨て、そもそも生まれ故郷の北海道を捨て、どこに行き着くこともなく姿を消したのか、居場所はあったのか。失踪宣告の申し立てをしてから十年以上経ち、父が還暦を迎えたことを知ったのは父宛に届いた同窓会の通知。それは三十を過ぎても足場の定まらない自身への問いかけへと重なってゆくのだった。

父と息子の関係を描いた作品は苦手だ。折り合いの悪い父と似ていると言われるのも嫌だ。しかし本書で突いているのはまさにそこだ。自分と父親は違うと思っていた。でも自分にもその父と同じ血が流れていることを実感する。あの人は僕の父親なんだって。普段なら怖気に包まれるような内容だ。だが嫌悪感はなかった。いや、心細さや寂寥感が胸に浸みてきた。父を思う息子に涙腺が緩みそうだった。これを読んだからといって、父に優しくはできないが、妙に琴線に触れてきた作品だった。

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伊藤たかみ
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comments

おはようございます。
TBさせていただきます。
父の厄介さというか、それでもその父に対するねじれた思い。私も強くそういうものに共感する方なのですが、でも、なんだかそんな父/父子関係ももうどんどん消滅し続けているんでしょうね、きっと。
良質の葛藤が消えゆくニッポンを憂えています。

時折:2009/12/29(火) 08:01 | URL | [編集]

時折さん、こんばんは。
こんな風に溝を埋めることができれば楽になるでのしょうね。
でもウチの場合、本人がどんどん穴を掘っていくので、溝は広がるばかりです。
歳とってますます頑固になって、もうお手上げ(涙)

しんちゃん:2009/12/29(火) 22:27 | URL | [編集]

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伊藤たかみ『海峡の南』


支離滅裂で正しい、父という生き方。 内容(「BOOK」データベースより) 父は、何を得て、何を失い、なぜ消えたのだろう?北海道を捨て、ナイチを捨て、家族を捨てた、でたらめな男。それが僕の父だった―。北海道と内地。父と息子。遠くて近い、ゆらぐルーツと奇妙な繋が

2009/12/29(火) 07:59 | 時折書房

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