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    2010

05.03

「冥談」京極夏彦

冥談 (幽BOOKS)冥談 (幽BOOKS)
(2010/03/03)
京極夏彦

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前作「幽談」に連なるシリーズ第二弾「冥談」は、生者と死者の狭間を、現実と現実でない怪しげが混じり合い、霞がかかったかのような不穏な空気感が心地良く、どこか懐かしく、それでいてゾッとする。そんな幽かな8つの物語で構成されている。個人的な好みをあげてみると、その怖さに鳥肌が出まくった「冬」、民俗学が色濃い「凮の橋」、黒さに突っ伏すしかない「空き地のおんな」、廃屋に対する薀蓄が著者らしい「予感」、作品の締めくくりに相応しい「先輩の話」だった。そして「幽談」より「冥談」の方が好き!

「庭のある家」
庭には椿が咲いていて、その横の植木鉢を置く木製の台は燻んだ灰色だ。その部屋は暗かった。三年ぶりに古い友人を見舞いに訪れたところ、留守居をしては貰えないかと頼まれた。妹が十分前くらいに死んでしまった。診断書を書いて貰わなくてはならないので、医者を呼びに行きたい。勿論だよと答えた。僕は、佐弥子さんが好きだったのだから。

「冬」
藺草の香りは僕には寒い。僕にとって畳は冬なのだ。その冷たさは、頬の冷たさである。更に云うなら右頬だ。時に、皮膚がちりちりするような錯覚があるほどだ。その記憶はまた、とても朦朧とした視覚的記憶と、聴覚的記憶をも伴っている。それは、少女の顔だ。そして、少女の声だ。その顔は誰にも似ていない。声も同じである。それだけは断言できる。

「凮の橋」
橋を渡らねば其処には行けない。その橋を渡る時は風のようになる。口を利いてはならない。擦れ違った者と目を合わせてもならない。言葉を耳にしても理解してはならない。それが決まりだ。私は二十年以上前に、一度渡った。渡ったような気がする。渡っている筈だ。その頃私は子供で、祖母に手を引かれていた。そこは、死者の声が聞こえる魔所だった。

「遠野物語より」
水野君が連れてきてくれた若者は、とても興味深い譚を聞かせてくれる。ややもすると嘘に聞こえる。それなのに。繁君の口調が真面目なものだから、どうにも信じそうになる。否、これは信じる信じないと云う類の話ではないだろう。信じられていると云うことを先ず驚くべきで、驚きが驚きでなくなるまで突き詰めて、内省すべきなのだ。繁君は語る。

「柿」
柿をひとつ貰った。喰ってみるかと、手に取って裏返したらば、にょろりと虫が出て来た。気持ちが悪いので捨てた。昔のことを思い出した。柿の木があった。ぼろい家の庭だ。最初に板塀を潜り抜けたのは、飛蝗を追いかけていた時だったと思う。そして僕は、大きな柿の木を観た。見蕩れていたんだ。でも。その記憶は怖い。どこか怖い。

「空き地のおんな」
アイツが悪い。気がついたら外を歩いていた。多分、もうイイとか叫んで私は部屋を飛び出したんだと思う。この空き地を最初に見たのはいつのことだったのか。五年くらいは経っているだろう。じゃあ五年もあんな男とずるずる付き合っているのか。そしてこの空き地は、そんなに放置されているのか。おんなが居た。どうやら私を見ている。何?

「予感」
谷崎さんは、廃屋に住んでいる。谷崎さんはその家を、三年前に中古で買い取った。売りに出ていたのは土地で、建物は要撤去の物件だった。で、壊さなかった。人が住まなければ家は死ぬ。その一度死んだ家に、谷崎さんは住んでいる。理屈から言えば、谷崎さんが住んでいるならその家は死んでいない。でも、谷崎さんは廃屋に住んでいる。

「先輩の話」
先輩は言った。記憶というのは、今の幽霊のこと。昔のことはいつも遠眼鏡で覗いた景色のようにぼんやりもしている。でも、ぼんやりしているんだけど、ホンモノじゃないんだけど、それは嘘じゃないから。其処に昔がある。幽霊が見える。遠眼鏡で見たように。おじさんは立派な人だった。おばあちゃんにとっても、自慢の息子だった。


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