2008
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兄が死んだと聞いたとき、ぼくは恋したひとを、弔っていた。諏訪ノゾミは二年前に死んだ。ここ東尋坊で、崖から落ちて。ノゾミの事故の原因は、この強風だと聞いていた。そのとき、風に乗って、不意にどこからか、かすれ声が聞こえた(おいで、嵯峨野くん)……その瞬間。強い眩暈がぼくを襲った。天地が逆転したように、平衡感覚が狂う。落ちた、とぼくは思った。
気がつけば見慣れた金沢市内にいる。東尋坊からの復路の切符が残っているのに、自分はどうやら金沢市の浅野川のほとりで、ベンチに横になっていたらしい。ぼくは考える。夢にしてはおかしい。東尋坊に行ったことは間違いないようだ。ところが憶えもないのに金沢に戻っている。不可解な想いを胸に自宅へ戻ると、存在しないはずの「姉」に出迎えられた。
二つの可能世界が交わった。それもどうやら単に合流したわけじゃなくて、ぼくの生まれなかった世界に転がり込んでしまったらしい。天真爛漫で、ちょっと馬鹿っぽいけれど、楽しそうで、おせっかいな「姉」のサキ。「弟」のリョウはサキの提案で、二つの世界の間違い探しをすることになった。
家のリビングルームで。そして不仲の両親のこと。街に出ればアクセサリ屋が残っていたり、うどん屋の爺さんが元気だったり、それから、死んだはずのノゾミが生きていたり――。こちら側とあちら側での違いの理由をたどると、そこには必ずサキがいた。そしてノゾミの死の真相が明らかになって…。
これはすごく面白かった。他のブロガーさんのところで拝見していたので、ラストに問題があることは薄々知っていた。よって、覚悟はしていたけれど、こういう終わり方は個人的に好きだ。ご都合で救済されるよりも、とことんまで突き放してくれると、そこに作者の潔さを感じてしまうのだ。だから、他の方たちのように、重苦しくて辛いとか、気が滅入ったということはなかった。ラストに救いが欲しいとも思わなかった。やってくれたなあ、というのが正直な感想かな。むしろ、最後のメールの一文には、賞賛の言葉をあげたくなってしまった。こういうのはたぶん、極がつくぐらい少数意見だろうけど。
それに、サキの明るさに惹かれたし、リョウの無気力さというかダメさに、妙に共感してしまった。こういった、ネガティブな思考の人物に対して魅力を感じてしまう傾向が、自分にはある。同じようなタイプかと言えば、まったく違って能天気だし、思いつめることもない。だけど、何故かしっくりきてしまう。潜在的になにかあるのかもしれないが。
これまで読んだ米澤先品の中で、マイベストに位置する作品だった。こういうヘンテコな意見があってもいいだろう。人にはお薦めはしにくいが、これは傑作だと思った。この意見に賛同する方って、……少ないだろうなあ。
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