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    2008

08.01

「歳三の首」藤井邦夫

歳三の首歳三の首
(2008/03)
藤井 邦夫

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旧幕府脱走軍陸軍奉行並だった土方歳三は、函館奪還と守備隊救援のために部下を率いて出撃した。そして、五稜郭と函館の間にある一本木関門で新政府軍と激戦になった。そこに一発の銃弾が鳴り響き、歳三は腹を撃ち抜かれて落馬し、新撰組副長土方歳三は三十五歳の生涯を閉じた。その後、歳三の死体は、部下によって葬られたとされている。だが、その場所が何処かは正確に知る者はいない。

土方歳三と袂を分かっていなければ、永倉新八も五稜郭で死んでいたかもしれない。新八は神道無念流の岡田十松を師と仰ぎ、十八歳で本目録を与えられた。そして、剣術修行に明け暮れ、近藤勇を道場主とする天然理心流・試衛館に出入りをし始めた。その試衛館には、後に新撰組の幹部になる者たちがいた。新八は彼らと親しく交わり、京に赴いて新撰組結成に参加し、命を懸けて戦った。だが、そうした仲間たちも既にいない。

新八は新政府軍に帰属した松前藩に帰参していた。江戸家老下国七郎が、新八を快く迎えてくれたのだ。松前藩医杉村松柏の養子。それが、下国家老が、新八のために考えた策だった。蝦夷・松前。父祖の地であり、土方歳三が最後の望みを懸けて戦い、滅び去った処だ。新八は蝦夷の地を踏んだ。そして、杉村家の養子となった新八は、名を杉村治備と改めた。ここに新撰組助勤二番隊組長永倉新八の名は消えた。

そこに、新政府の弾正台として古高弥十郎が函館にやって来た。弥十郎の従兄・古高俊太郎は、土方歳三の残虐な拷問に敗れ、池田屋での同志の会合を教えた。新撰組は池田屋を襲撃し、多くの同志を倒した。その歳三への憎みから、歳三の死体を探し出してその首を獄門台にさらそうとしている男だった。新八は決意した。歳三の首は渡さぬと。

土方歳三の埋葬場所を巡る歴史ミステリという体裁をとった作品である。それゆえだからこそ言わせてもらう。歴史ミステリとしてはイケてない作品だ。歴史の謎にしろ、怪しい前振りにしろ、ミステリはへたくそだった。文章もあまり上手くはないが読みやすい。文章が巧みだから読みやすいのではない。難しい書き方をせずに気取っていないから、平易な言い方をすると読みやすいになる。

しかし、時代物としては面白かった。こういう作品は嫌いではない。むしろ好きなジャンルになるのだが、作品世界に引き込まれる何かが足りなかった。人物にしろ、撒き餌にしろ、とにかくすべてがぼやけているのである。もう少し筆力があれば、もっと面白くなりそうな気がした。この人は脚本家らしいが、小説家まではまだ届いていない。かなり辛く評するが、期待があるからこそである。書き手の少ないジャンルなので、今後もこういった作品を書き続けて、もっと飛躍してもらいたい。まだまだ荒さは目立つが、応援する価値のある作家だと思った。

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