2008
![]() | 虚夢 (2008/05/23) 薬丸 岳 商品詳細を見る |
白い雪で覆われた公園にはたくさんの人たちが集まっていた。そのとき、どこからか奇声が聞こえてきた。少し先で小学生の子供たちが懸命に走り回るのが見える。子供たちを追いかけているのは黒いジャンパーを着た大人の男のようだ。男の右手に握られているものが光を放った。その正体に気づいたとき、公園のあちこちから悲鳴が上がった。男は子供を後から捕まえて羽交い絞めにすると、何度も子供の胸に刃物を突き刺した。
留美を見た。雪を丸めながらにこやかに笑っている。佐和子は必死に走った。助けて、あなた。後ろから衝撃があって、前のめりに倒れた。背中が妙に熱い。顔を上げると、男が見下ろしていた。血しぶきを顔に浴びた若い男に見覚えがあった。近くのコンビニで見かけるアルバイト店員だ。若い男が留美に目を向けた。やめて、お願い、助けて、神様。若い男が留美の首を刃物で突き刺した。
十二人もの人たちを殺傷する凶悪事件を起こした犯人には、精神科への通院歴があった。犯人の名前は藤崎裕之。留美を含めて三人を殺害し、九人に重軽症を負わせた藤崎が罪に問われることはなかった。この世には、人を殺しても、残虐な罪を犯しても、罰せられない者たちがいるのだ。刑法三十九条という法律によって。
逮捕されて検察に送致された藤崎は、起訴前鑑定で統合失調症と診断され、犯行時は心神喪失であったとして、不起訴となったのだ。心神喪失者の行為は、これを罰しない。心神衰弱者の行為は、その刑を軽減する。刑法三十九条という法律によって、あの通り魔事件は社会からなかったものにされたのだ。
三上孝一と佐和子は三年前に離婚してから、一度も連絡を取り合っていなかった。その佐和子から、あの男とすれ違ったといって三上に電話がかかってきた。佐和子が「あの男」というのはひとりしか思い浮かばない。藤崎とすれ違った――。そんな馬鹿なことがあるわけがない。藤崎がこの街にいるわけがない。あれほどの事件を起こしてから四年しか経っていないのだ。
佐和子は事件の後に統合失調症と診断されていた。留美を殺した藤崎と同じ病名だ。佐和子の幻覚かもしれない藤崎を探すことなど馬鹿馬鹿しいことかもしれないが、せめて自分だけでも佐和子の言葉に耳を傾けて、信じてやろうと三上は決めた。今回こそ佐和子を守ると誓った元夫の三上、徐々に壊れていく妻から逃げようとする今の夫の坂元、藤崎と接触してしまったキャバ嬢のゆき。彼ら三人の視点で、物語は展開してゆく。
長々と内容紹介をしたが、これは作品のさわりでしかない。ここから登場人物たちが動きだすのである。どう動くのか、どういうことが起こるのか、どういった結末を迎えるのか。それは作品を読んだ方だけが知ることのできる特権である。この著者の書くテーマは重いかもしれない。だけど、重さを感じさせずに、するするっと作品世界に引き込まれてしまう吸引力がある。
ただ、問題提起に対しての著者なりの答えがあれば、それに賛同するかは別にして、さらに良かったと思う。この著者は毎回問題提起を投げっぱなしだから、そこがもったいない点である。それに、どんでん返しやラストの展開は、活字中毒なら結果が見えてしまうかもしれない。しかし、これはフェアだからだ。やりすぎていないからだ。その点は認めてあげたいし、十分満足できる内容の作品だった。
薬丸さんのサイン。

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